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2001 5月12日(土)伊万里の兄妹とで、東京都墨田区にある「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」を訪れました。(1)
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伊万里の父、照井栄三は、1945年5月に亡くなりました。東京大空襲の犠牲者です。 照井栄三は著名な声楽家でしたが、惜しくも敗戦直前の空襲でその58才の生涯を終えました。 ボクたちは、今日、この 犠牲者の名簿が祀られているこの記念碑を訪れたのです。 左から、照井栄介、松山雅子、小島迪子、辻晶子(伊万里)、山野朝子、山野貞夫 Photo By 辻バード |
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伊万里たちの父、 照井栄三の足跡や 業績に関しては、 もうすぐここでご紹介 したいと思います。 辻バード |
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照井栄三の名簿を確認しました。但し、家族の名前だけ撮影が出来ます。 この名簿には、約7万名の名前が記載されています。 5人の兄妹と、その名簿。母愛子はすでに亡くなりました。 |
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1945年3月10日の 東京大空襲の翌朝の写真 「談話室」より >>焼夷弾でやられた人たちの写真には、少なからずショックを受けます。 伊万里たちは、父を捜して、あの様な悲惨なありさまの中を 探して歩いたそうです。まだ幼い小学校の時にです。 |
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焼夷弾でやられた人たち。焼けただれたまま放置されています。 「談話室」より ボクは集団疎開していましたが、3月10日の東京大空襲の日に東京へ帰ってきました。小学校が卒業だったからです。ところが、大空襲のせいで、列車が茨城付近で止まってしまい、東京へは入れず列車の中で一夜を明かしました。 翌朝、ボクらの列車は上野に入って行った。その時に見た光景をボクは忘れることが出来ません。東京が全滅していたからです。見渡す限りの焼け野原。無謀な戦争のために命を落としたのは、けして兵士だけではありません。東京でも10万人以上の人が、それも非戦闘員の市民が亡くなりました。 |