1997年8月15日 辻 真須彦

 みなさん!!

 今日、また8月15日がやって来ました。あの日から52年も経ち
ました。ボクはいつでも、この日が来ると鮮明に思い出が蘇って来ま
す。これは、死ぬまで忘れない思い出です。

 1945年の6月頃、ボクは当時、疎開先の宮城県登米郡登米町に
いて、ここから佐沼の中学に通っていました。中学と言っても勉強し
ているわけじゃなく、毎日毎日蕎麦畑の開墾や、松の根っこ堀りをやっ
てました。この松の根で取った「松根油」で、特攻隊の飛行機を飛ば
すと言うのです。それと、竹槍による「軍事教練」です。毎日のよう
に、学校には将校が来て、我々中学生に演説をする。それは、いかに
して国民が火の玉のようになり「一億玉砕(日本国民が全員死ぬ)」
の決意を固めるか、と言う内容です。「本土決戦が近づいている。お
まえらも、天皇陛下のために命を捧げる時が来た!」そんな演説を毎
日のように聞かされるのです。

 ボクは、この将校に、何回もリンチのようなビンタを受けていたの
で、ついに決意しました。「もう明日から学校へは来ないぞ」と。そ
して、翌日から登校拒否に入り、毎日北上川で釣りをして暮らしてい
ました。幸い佐沼の中学側は、歩いて1時間半もある距離でしたので、
学校側も、もうボクを追求することはしなかったのです。その余裕も
なかった時期なのです。そして、その日から、ボクの回りから戦争が
消えてしまいました。ボクは、片足のない、ボクのお祖母さんと2人
で暮らしていました。東京の爆撃がひどくなったので、ボクがこの疎
開地へ連れ戻ったのです。内心では、ボクは毎日怖れていました。も
し、ここへあの残忍な将校が来たら、多分ボクは殺されるのじゃない
かと。

 そして、8月15日が来ました。あの天皇の放送も確か聞いたので
すが、何を言っているのか意味が分からないのです。ラジオの向こう
から、ただの雑音が聞こえて来ただけです。夕方、ボクが北上川の土
手にいたら、やはり東京から疎開して来ていた、佐藤くんと言う友人
が、向こうから手を振って駆けて来る。彼は「戦争が終わった!」と
息せき切ってボクに告げたのです。そして、ボクらは、土手で互いに
手を握り合い「よかったー」と叫び合い、泣きました。でも「これか
ら、日本人はどうなるのだろうか?」色々な疑問が湧いて来ます。暗
くなるまでボクたちは土手で話を続けていました。中学1年生のボク
は、それからの毎日、いかにして東京へ帰ることが出来るかを追求し
て、ついに10月の始め頃、やっとお祖母さんを連れて、列車の連結
器に座って、夜行で帰りました。東京は、見渡す限りの焼け野原。

 先日も、NHKの記録で見ました。本土決戦を叫ぶ軍部。ソビエト
の参戦と原爆の投下。日本の無条件降伏。ボクは、この8月15日が
来ると、いつもあの時を思い出します。それも、まるでモノクロの映
画を見ているように、それがとても鮮明なのです。ですから、ボクに
は、この毎日毎日がとても貴重です。戦争のない、本当の平和がいつ
訪れるのか。人類が、いつ核兵器の全面廃棄を実現出来るのか。

 この4日間。NHK衛星放送第一で、連続上映されている「ナチス
によるユダヤ人虐殺」の記録を録画しています。総計8時間におよぶ
大作です。人類は戦争によって、集団的狂気になります。ベトナム戦
争のアメリカもそうです。それを、これらの記録は生なましく伝えて
います。人類がもっと聡明になる時まで、果たしてボクは生きられる
のでしょうか?
                        辻バード