| 1999月8月15日 辻 真須彦 |
みなさん!! もうすぐ、また終戦記念日がやってきます。 ボクは、毎年、終戦記念日が近づくと、ここへボクの体験を書くこと にしています。少しでも、あの忌まわしい、忘れることの出来ない事実 を風化させないためにです。ボクらには、それを伝えて行く義務があり ます。 ボクは、終戦の年には、宮城県登米郡登米町と言うところにいました。 ここには1944年の秋、小学校の集団疎開で強制的に連れて来られたので す。そして、ボクは小学校卒業と同時に一旦は東京へ帰えりました。で も、東京への爆撃がひどくなり、片足のないボクの祖母が危ないと言う ことで、疎開先のお寺の住職に相談したら「戻って来い」と言うことで 登米に戻ったのです。ボクはそれから、ボクのオバアさんと2人で、こ の登米町に住んでいました。片足が義足の祖母は、東京での爆弾と焼夷 弾の嵐の中では逃げ切れないからです。東京の家の傍には中島飛行機の 工場があり、毎日空襲が襲ってきます。近所の樹に、人の死骸がブラ下 がっている、そんな光景も見ました。東京は、見渡す限りの焼け野原で した。 ボクの父は、岩手県の黒沢尻と言うところにある、アメリカ軍の捕虜 収容所で通訳として働いていました。(父は最終的な召集令状が来るの が、恐ろしかったのです。ですから英語が出来ると言うので、通訳を志 願しました。)母と、栄養失調で片目が見えない妹は、東京の家にいま した。2人の姉たちは学徒動員で、工場で働いていました。ボクの弟は、 やはり登米町に学童集団疎開していて、骸骨のようにやせ細っていまし た。家族は、バラバラに引き裂かれ、ボクは、ただひたすら、このまま 戦争に引っ張られ、死ぬのが怖かった毎日でした。 ボクは、終戦の年(1945)の年の6月頃から、佐沼中学への登校をやめ てしまいました。登校拒否です。これは、もし、捕まれば殺されてしま うほどの行為です。と言うもの、ボクが、走りながら、配属将校に敬礼 した(列車に乗り遅れそうになったから)と言うことで、翌日呼び出さ れ、死ぬほど殴られたからです。その配属将校は「わしは、おそれ多く も、大元帥閣下(天皇)の代わりにこの学校へ来ているのだ」と、中学 1年生のボクを、殴りに殴りつけたのです。ボクは、学校へ行っても殺 される、登校拒否でも殺される。どちらにしても殺されるのなら、学校 へ行くのは止めよう、と子供心ながらに決心したのです。13才のとき のことです。 その頃の学校は、まさに狂気でした。毎日が、一億玉砕。日本国民が 全員、もしアメリカ軍が上陸してきたら、竹槍を持ってでも、死の覚悟 で抗戦すること。その精神鍛錬・軍事教練の毎日でした。 ボクは、学校へは行かず、毎日、北上川で、1人で釣りをしていまし た。釣ったハヤやヤマベが、唯一の動物性タンパク質でした。しかし、 静かな毎日でした。内心では、いつあの配属将校がここへ現れるか。そ の恐怖が、ボクを襲ってきます。現れたら、殺される。「平和」そんな 言葉さえクチに出せない世の中でした。 ボクは、そんな日々をけして忘れることは出来ません。そして、ボク が川の中に立って釣りをしていたら、やはり東京から疎開してきていた、 同級生の佐藤くんが大声で、向こうから叫んだ。走りながら叫んだ。 「辻くん、戦争が終わったぞー」「日本は負けたんだー」 この一瞬のこと。この時ボクは、何を考えたのか?それをボクは思い 出せないのです。しかし、例えようのない安堵感が、中学1年生のボク の心に広がったのは確かです。いま考えると、それが「平和」だと思う のです。「平和」それは何よりもまして大切なことです。ボクらは、そ れを伝えて行かなければならない。もう、二度と戦争へ向かう道へは進 まない。そう叫びたいのです。 その後、明確に「戦争放棄」をうたった憲法が出来た時、ボクは、幼 いながら、心の底からこれを喜びました。今でも、その気持ちは変わり ません。「平和」それと「豊かさ」それは、どんな関係にあるのか?ボ クにとって、それは、簡単に意見が言えるほどの問題ではないのです。 「ひもじさ」と「戦争」、その中でボクは育ってきたからです。 アメリカの核の傘に頼った「平和」、それはほんとうに平和なのか? いや、今の日本には、「いつか来た道」を懐かしんでいる連中も沢山い ます。今度は、アメリカと一緒だから怖くない。そう考えています。そ れには、まず憲法第9条を変えなければならない。もう、なし崩しの解 釈改憲では、間に合わない。そして、つい先日「憲法調査会」なるものを 国会外に、強引に設置してしまいました。 ボクは、恐ろしいものを感じています。「日の丸」「君が代」こそが、 あの戦争を鼓舞して行く象徴でした。ボクはそれをけして忘れません。 毎朝毎日、強制的に唄わされ、強制的に拝礼させられました。そしてそ の時の、あの残虐な侵略戦争に、何の反省もない連中が、政治を握って います。靖国神社への「参拝」、これはこの道への突破口なのです。 辻バード |