「ボクの味て歩き」 行き付けの店たち(5) 新宿「三州屋」
辻 真須彦 1986/06/25パンニュース
 会社の帰りに「チョット一杯やるか」となれば,たいてい焼鳥屋か居酒屋だ。ボクだってフランス料理には行かない。新宿には,一杯飲み屋がそれこそ数百軒あると思うが,本格的な江戸前割烹で,しかも値段が安いと言うところは,本当に少ない。これから紹介する三州屋がそんな店だ。

 昔の二幸,今スタジオ・アルタの裏にあるが,通り過ぎてしまうような,地味なかまえである。でも,夕方から閉店まで,毎日「ひっかかるサラリーマン」で超満員なのだ。「本格的な江戸前割烹」とボクが言うのは,こんな特長を全部そなえているからだ。まず,主な売りものが白身の刺身である。平目,鯛,黒鯛,すずき,その日によって,コチ,かれい,あいなめ,等の新鮮なのが入る。この店に来て,まぐろの赤身やハマチを食べる人はかわいそうだ。「刺身の盛り合わせ」!と入るなり言う人がいるが,それじゃ三州屋にくる価値もない。

 それから,「揚げもの」が一切ない。フライのたぐいが全然ないのである。これは,江戸前割烹の大前提で,昔から,この店に限らず本格派はどこでもフライはやらない。揚げものはてんぷら屋に行け,なのである。「川海老のから揚げ」とかカキフライがあるのは,単なる一杯飲み屋でしかすぎない。それに,串ものがない。勿論,焼鳥はないし,串焼,串揚のたぐいもない。又,御飯,お握り,丼物はなく,お茶漬けだけがある。

 飲み物は,酒がメインでビールはある。しかし,焼酎は絶対に置かない。焼酎全盛の今日でもないものだから,怒って出ていく人もいるくらいだ。なんだか,ないないずくしのようだが,だからすじが通った店になるのである。むしろ、なんでもかんでも置いてある飲み屋は,格が低いところだと思う。そんな店は,一品一品を吟味して出したりはしない。せいぜいヤングが一気飲みをやっているような店が多い。新宿の三州屋は,そんな江戸前割烹の特長を全部そなえている飲み屋なのだ。
 だから,自然と常連が多くなる。こんなに繁華街のど真ん中にあるくせに,フリの客が飛び込んで来ることは非常に少ない。一階はカウンターで一人客飲むところと,割合おとなしいグループのテーブルである。二階はガヤガヤとした客が多く,仕事の延長を飲み屋で議論している。

 江戸前割烹の習慣で,壁に今日の品書を張り付け,売り切れると画鋲で上に止めてしまう。目指す品物は7時過ぎになると,軒並ひっくり返ってしまうのだ。ここで最初聞くことは「今日の白身はなに?」である。コリッとした鯛やすずきが大根・紫蘇・防風を付け合わせに出てくる。それに「活け車海老」を頼むと良い。ピクピクと動いている車が刺身で三匹。ボクは刺身を食ったあと,必ず頭を焼いて貰う。それも「強めの塩でしっかり焼いてね」と頼むと,串ざしした頭がもう一つの料理として出る。カリカリッとして香ばしく,実に美味い。これで900円とは悪い位だ。

 季節によっては,活けアナゴやハモを熱湯で通し,山葵醤油で食べるのも良い。又,ここでのお勧めは「鯛の頭の酒蒸し」である。ボクは大抵,座った時これを予約しておく。スグに品書きがひっくり返るからだ。立派な頭(かしら)を梨割にしたやつが,タップリとしたスープで出て来るが,眼肉をはじめ「骨の髄までしゃぶる」とは,このような料理のことを言うのだろう。これは800円だから安いと思う。
 その外,薄塩水にしっかり泳がして,サット三杯酢に通したメ鰯や,冬の名物殻付きの牡蛎ポン酢とか,酒の肴の正統派が沢山ある。その外にも色々あるが鳥豆腐なぞも美味しい。中丼に豆腐,春菊,皮付の鳥肉がしっかりと出汁のでたスープで出て来る。レンゲでしゃくうと,家庭にはないプロの味がするところがミソだ。

 鯛やすずきの「あら煮」も素人では出せない味である。要は,酒だけで煮て行き,煮上がる直前で醤油を入れる(プロは切ると言うが)のが違うのだ。ボクが家のキッチンでこんなやり方をすると,晶子が「勿体ない」だの「やり方が違う」だの言うが,食べてみて「美味しい!!」となる。いつもそおだ。こっちはプロのやり方を研究しているのだから。そんな口実で,また会社の帰りに「引っ掛かる」のが三州屋である。

解説:「なんでも置いてある店」がいいのではない。むしろ「なにが置いてないか」がその店を見るポイントだと思う。「ないもの」によって自己主張することが,昔からの流儀である。「寿司・天ぷら・うなぎ」と書いてある店が一流であることは,ありえない。
★この三州屋も6-7年前に閉店してしまった。その後しばらくはゲームセンターだったが、最近は、どうしようもない居酒屋になっている。ボクは、この前を通ると涙が出そうになるのである。辻バード 2001/11/19