辻バード :Charlie Parker Memorial in Kansas City

  除幕式の様子です。

   いよいよ全ての演説が終わって、全員が巨大な「モニュメント」の前
 へ移動です。パーカーの家族(全部で10人はいたか?)が綱を引きま
 す。その中で最年少の少年が「テン・ナイン・エイト・セブン・・・」
 と叫びます。回りには小太鼓の一隊がいて、ザラザラザラザラをタイコ
 をロールさせる。いよいよ「ゼロ」が来て、綱が引かれ、チャーリー・
 パーカーを記念する像が青空の中に、現れた。

   回りに集まってきていた、カンザス・シティー中のジャズメンや若者
 や学生のサックスを持った人たちが、一斉にナウザタイムを吹き始める。
 たしかに「今、その時が来た」のだ。

  ボクは、前にパーカーの像を買えと手紙をもらって、その時のものだ
 と思いこんでいたのですが、それは違いました。彫刻家ロバート・グラ
 ハムが創作した、単なる立像ではない、もっと、抽象的、哲学的な彫刻
 です。まるで、仏陀(ブッダ)のように瞑想する巨大な頭です。顔です。
 クチの部分は、まるでサックスを吹いているようです。しかし目は瞑想
 している。これは、ロバート・グラハムが、パーカーの音楽をイメージ
 して、創造した、哲学的・抽象的な彫刻なのです。

  そして、その台座には、我々パーカーを愛するものの合い言葉である、
 BIRD LIVES(バードはいつまでも生きている)が刻まれてい
 ます。この言葉は、パーカーが死んで数日後のニューヨークで、どこか
 らともなく、あちこちに、無数に増殖していった、落書きされた言葉な
 のです。彼の死後、45年にして、ここカンザス・シティーに、落書き
 ではなく、石に刻まれた言葉として、これが存在する。ボクは感慨無量
 です。

   パーカーがニカ男爵夫人の家で急死して、医者が駆けつけた。この医
 者はパーカーを56才の黒人の男と判断をくだした。実際は35才。そ
 して、その死体は、警察の無名死体安置所に移された。多くのジャズメ
 ンが彼の死を知って駆けつけ、ニューヨークでミュージッシャンを中心
 にした葬式が行われた。

   その後、死体は、パーカーの母親と最初の妻であるレベッカによって、
 カンザス・シティーへ運ばれた。そして、(昨日も行きましたが、)貧
 しい黒人が埋葬される、無名墓地に毛が生えたような墓に入れられた。

  あれから45年の歳月が流れ、ついにここ彼の生まれ故郷であり、最
 初に活動を開始したカンザス・シティーに、パーカーの音楽を称え記念
 するモニュメントが建てられ、そこに「バード・リブス!」の言葉が刻
 まれた。

  ボクは、この青空のもとでの、お祭り騒ぎよりも、遠い遠い昔を、想
 い出していた。ボクが1953年に神田でレコード屋「リズム社」を開いて
 いた、村岡貞氏に、「ボーヤ、(こう言ったと思う)アルトサックスを
 やるのなら、チャーリー・パーカーを聴きなさい」と言われた。そして、
 即座に3枚のパーカーを買って、家に持って帰って聴いた。ボクは、あ
 の鮮烈な衝撃を、けして忘れない。あの時、ボクがパーカーに出会わな
 かったら、今ここ、カンザス・シティーに来て、このモニュメントの前
 に、ほんとうにいたかどうか?

  それから、1994年の9月に、ロンドンでオークションに参加し、パー
 カーの遺品を競った。それも結局、最後の相手は、ここカンザス・シティー
 の市長エマニュエル・クリーバー氏だった。あのオークションに参加し
 ていなかったら、ボクのドネイションもなかったと思うし、ボクがカン
 ザス・シティーの名誉市民になることもなかっただろう。これらの事柄
 や事件を、ボクは、この喧噪の中で次々と想い出していた。

               from Kansas City MO U.S.A. 辻バード